神様が因縁を結ぼうとする目標(訓教経 上)
侍りたいお父様 1961年2月12日
韓国前本部教会「文鮮明先生み言選集第11巻」
神様が因縁を結ぼうとする目標
神様は天地万物を創造され、その万物を主管できる人類の先祖を立てたのち、そこに希望を置かれました。
創造理念を中心として、アダムとエバが成長してから、神様は彼らを訪ねたかったのです。どこにでしょうか。
彼らの心の中に訪ねて入っていこうとされたのです。
心だけでなく、心情の深い所に落ち着こうとされたのです。
神様が人間を創造された目的は、神様の心情を人間の心情の深い所に植えることです。その心情が植えられることを願ってこられましたが、途上で折られてしまいました。
これが堕落です。
パウロは、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリントⅠ 3.16)と言いました。
しかし神様は、今までそのようにしていらっしゃらなかったのです。
なぜでしょうか。
罪悪となったこの地、罪悪の侵犯を受けている環境だからです。
神様が創造当時に立てた理念と心情を通じた生活を営むことができない人間になったがゆえに、観念的には侍ってきたかもしれませんが、生活においては神様に侍って生きる人間になれなかったというのです。
神様はこのようなすべてを清算して親しく人間の心情に落ち着き、人間と共に生きる一日を訪ねてこられるということを、皆さんは知らなければなりません。
神様が人間を訪ねてこられるとするなら、どの程度まで訪ねてこられるでしょうか。
人間の心の深い所まで
訪ねてこられます。
それゆえ、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ22.37)
と言われたのです。
私たちの心の小さな部分までも
残しておいてはなりません。
心をすべて尽くさなければなりません。
神様は私たちの心の深い所まで訪ねてこようとされます。
その次は、私たちの体を訪ねてこられます。
私たちの体の細胞一つにまで訪ねてこられます。
さらに、私たちの生活を訪ねてこられます。
心と体、すなわち、皆さん個人を、訪ねるのはもちろんですが、私たちの生活の極めて細かい部分にまで訪ねてこられる神様であるということを、皆さんは知らなければなりません。これが神様が愛を中心として因縁を結ぼうとされる目標です。
皆さん、愛する人を愛すれば愛するほど、その人の深いところまで因縁を結ぼうとするのが原則です。
一言でも自分と反対になったり、一つでも自らの願いと対立することがあれば受け入れません。
そうではありませんか。
それだけに、天地を動かすことのできる根本的な心情をもった神様が
私たちを
訪ねてこられるとき、私たちの心の底までも、ほこりと傷がない善の場で
因縁を結ぼうとされ、私たちの体とも、私たちの生活とも、そのような場で
因縁を結ぼうとされるというのです。